2015年8月11日火曜日

背負っている重みが違う、1965年の青年海外協力隊隊員

さて、8月22日(金)は協力隊ナビ@帰国後編ですよ?
もうエントリーはお済みですよね?
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8月22日(金)18:15より仙台市民活動サポートセンターにて

 

青年海外協力隊が派遣されて今年で50年!

各国のボランティア派遣制度において、1965年ってかなり古いって聞きます。
アメリカのピースコープもそれより後に始まった制度らしいです。(協力隊の方が歴史が古いって事!)


時代ごとに見る、協力隊


①日本の出入国数
協力隊が始まった1965年は、外国に出る日本人がとても少なかったのです。
「若者に海外に行ってもらって、国際人材を育てよう」
そんな経緯から青年海外協力隊制度は始まりました。


始まった年~2005年くらいまでの出入国者数のグラフを作ってみました。
(つまり、日本人がどれだけ海外と距離があったかのグラフです)
1965年は年間出入国が116万人しかいなかった。(単純人口比 86人中1人
2005年は年間出入国が4980万人だった!(単純人口比 2人中1人)  
だったのです
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背負ってた物、違いすぎるでしょ。

「国の代表」としての意識、これはもうどんな気分なのでしょうか。
オリンピック代表、そんな意識レベルだったんじゃないかな。


②協力隊の派遣者数、日本の輸出額のデータも比べてみると。

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日本の出入国数、国の輸出額、しっかり伸びてます
これは、先輩協力隊員が切り開いたから・・・・・・!
いや、それだけじゃないけど、それも要因の1つ


協力隊の派遣者数もしっかり増えてますね。
受け入れ国が増えた(世界に求められるようになった)
派遣者数が増えた(日本社会でも意義が認められた)
と言えなくもない!?

それら隊員の活動は、
国の発展の度合いはもちろん違うし、日本製品の普及率も全然違う、通信環境も、水の確保の方法も、協力隊活動を通して得られる内容も、ぜんっっっっぜん違うんでしょう。




そして志望動機、その後の人生、全く違うのでしょう。



そんな時代の、初期隊員の記事を見つけました。


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1967年にカンボジアに柔道隊員で派遣された大樅哲生(おおもみてつお)さん
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なるほど。カンボジアといえばその時代ですもんね。

だが、やはり思うのは
記事を読むと、生で話を聞いてイロイロ質問したくなる。。。。
自分の活動と比較して、めちゃんこ聞きたくなっちゃう。
「協力隊にいた2年間と、その後の人生、どっちの方が記憶に残ってますか?」
「現地の2年間の生活では、観光客もJICA関係者もひっくるめて、何回くらい日本語話しましたか?」
「今の協力隊を見て、どう思いますか?」


。。。。僕ら協力隊OBにとっても、学びの多い機会となりそうです(もしも会えたならば)



協力隊ナビはね、受験者と協力隊OBだけの交流じゃないと思う。
仲間同士の刺激を与え合う良い機会になると思う。


そしてそして!


そんな様子を、協力隊になろうか迷っている人が見て、
「あ、私もこの人たちの仲間になりたいな!」・・・・・・・ってなる





と良いのだけど
(^o^)
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だから8月22日の協力隊ナビは「帰国編~経験の活かし方」ですよ!
これから受けたいけど「帰国後の進路が不安だから受けられない」って人、
ほんと~に役に立ってるの?」って、単純に協力隊制度自身に興味がある人、
自分はこんなに輝いている、伝えなきゃ」って感じたOBのアナタ
お待ちしてますよ。
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つづく

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